後半はつまらない話(5月29日土曜日)

8時半起床.寝坊.母からLINEと電話が入っていたので,何事かとおもって折返し電話をする.たいしたことない内容であった.どうやら掃除をしているらしい.

 

洗濯をし,家をでる.途中,マルエツによって緑のたぬきを購入.12時15分ころに大学に到着.本来なら土曜日を一日休みにしたいところだが,やることがあるので大学へ行って作業をすすめる.

 

とりあず,緑のたぬきで軽く昼飯にする.食後のコーヒはよい.

 

オンデマンドの講義をうける.なかなか集中できない.いろんな着想をえるので,そのつど本を開き,確認をするという非効率なことをしていた.オンデマンド終了は16時前.

 

資料の印刷.ネットにBott,Tuの洋書がおちてるが,ダウンロードしていいのか?海外は著作権がガバガバな気がする.もちろん,著者本人がボランティア精神で公開している場合もある.日本もそうなってほしいものだが,,,

 

17時にYouTubeゴールデンレトリバーをみる.最近はほぼ一択で,「もふもふゴールデンレトリバーコタロー」をみてる.二番手に「ジョイ家」だろう.だいたい17時に更新されるので,毎日のたのしみの1つが17時なったらゴールデンをみることなのだ.

 

帰りにスーパーへ.魚が食べたい.

 

小中高校ときらいな教員が結構いたなと振り返る.(無論,いい先生もいた.)たとえば,小学校の宿題で読書感想文がある.あれはかなり嫌いであった.まず,読書感想文を宿題に出すくせに文章の書き方を教えてくれないのだ.とりあえず,原稿用紙のルールしか教えてもらえない.そのくせ,感想文ではないとか文句をいってくる.だいたいそんな教員は,その人自身も文章がかけないのだ.よく学部の友人と,小学校の教員は文章がヘタクソなやつが多いとネタにしていた.(もちろん,すばらしい先生もいるので全員ではないことに注意したい.若い教員に多いのだ.)ちなみに,小学生は勉強をほどほどにしたほうがよいとおもう.最近の小学生はよく勉強するなーとおもっていて,将来が不安に感じる.かくいうわたしは,小学校2年生までひらがなを読めなかったし,とくに勉強した覚えはないが,いまは困っていない.

閑話休題

それから,よく見かけるのは才能がどうだとか言ってくる人間だ.部活動がその典型だろう.そもそも,才能というものが一般性をもって定義されているのか疑問におもう.もし,そんな人に出くわしたら経験則でしか語れない人間なんだとおもうと気が楽である.指導者や教育者は自身の言動に責任をもつべきで,よく塾でおしえていたわたしも気をつけていた(未熟なところも多々あり,猛省している.)また,〇〇が得意だからその道にすすむべきとか,〇〇活かそうなんていうアドバイスというのはいらないと考えている.そもそも,他人にあーしたほうがよい,こーしろと言われるのは無粋だ.わたしもそんなアドバイスをしてしまった経験があり,その後「その人の人生を強制的に方向づけしてしまったのではないか」とおもうようになったので,以降やめた.

 

とりあず,言い出したらキリがないが,わたしはいまの教育者が嫌いだ.嫌いだからこそ現場で奮闘してみたい気がするが,平行線のままで終了している気がしているので現在は魅力的だと感じていない.